こんにちは。偏愛パチンコライターの栄華です。
旧年中は拙稿をお読み頂きたいへんありがとうございました。本年も私なんぞを必要としてくださる方の存在に感謝しつつ、喜んで頂けるものを発信できるよう精進します。どうぞよろしくお願いします。
さて、2021年第1回目は、わが旅の記録を見て頂こうと思います。
私のライフワークである「パチンコホール探訪」でのエピソードや写真です。
新型コロナウイルス感染症の流行で外出できない時期もありましたが、2020年末にカウントしてみたところ、訪ね歩いた物件は274件でした。けっこう頑張りましたね。
しかし、例年通りに取材することができない歯がゆさが常につきまとう一年でした。そのあたりの苦労談とともに、印象に残る写真をご披露しようと思います。
私が「ホール探訪」で訪れるのはこんな所です。
①現役のパチンコホール
(建物の築年数が古い店舗優先)
②廃ホール
(築年数が古く、保存状態のよい建物が優先)
③ホールの建物を転用した物件
(パチンコ店時代の残存濃度が高いもの優先)
④ホールの跡地
(建物はないけど看板が残っている場所、更地など)
⑤古いパチンコ台が設置されている施設
(ゲームセンター、レトロ博物館、観光地の娯楽施設など)
⑥パチンコホールの法人が多角経営している店舗
(飲食店、温浴施設、宿泊施設などなど)
⑦その他パチンコ店の痕跡が残る場所
(商店街の街路灯看板、銭湯の鏡広告など)
パチンコ店ではない場所も含まれてますが、総称してホール探訪と呼んでいます。2020年に訪ねた274件のうち、約80%が①~③でした。
例年、ホール探訪はだいたい公共交通機関を使って一人で巡ります。しかし今年は不特定多数の人々と接する機会を減らすため、緊急事態宣言後は真夏を除いてほぼ自家用車で移動しました(ドライバーは家族や信頼できるスタッフ)。
高射幸性機種の撤去、原則屋内禁煙化などが重なり、2020年は新型コロナウィルスの影響がなくても多くのパチンコホールが閉業に追い込まれるだろうと予想されていました。大型チェーン店よりも小規模チェーンや個人経営のホールが早く力尽きてしまうはずですので、現役の小規模店をどれだけ訪ねることができるか、勝負の年になると思っていました。
スタートダッシュをかけようと、1月は50物件を探訪。
コロナの脅威が顕在化しはじめた3月は、探訪件数が一気に減って9件のみ。そんな中、3月上旬に関西地方の個人経営店で見た情景は特別に印象深いものでした。「設備の老朽化」を理由に70年の歴史に幕を下ろした老舗ホールの【最終日の翌日】を取材できたのです。
私は古いホールを「保護したい」とか「残したい」という言葉を簡単に口にできません。建物や設備を維持することの難しさがよく分かるからです。でもこの日、貯玉の精算に訪れた大勢の常連客さんと店員さんとのやりとりは、ひとつひとつが「消してはいけないもの」だと感じました。このホールを心の支えにしていた人たち。明日からどうやって生きて行くのかなあと。
でも、このあとに訪れたコロナ禍を思うと、3月上旬に閉業できたことは不幸中の幸いだったのかしれません。
ステイホームに終始した4~5月を経て、県をまたいでの移動が解禁となった6月にはマイカーで遠隔地へ出かけました。しかし「県外客お断り」の表示があるホールも多く、1日に5~6軒訪ねて1軒も入店できず、外から観察するのみだった日もありました。
その点、廃ホールの探訪は外から撮影する(「公道から」が基本です)だけなので感染リスクはない……ように思えましたが、実はホール探訪の根幹を揺るがす大困難が待ち受けていました。
現地での「聞き取り取材」ができないのです。
現役ホールであれば、電話やネットでアクセスすることもできますが、廃ホールの場合は近隣への聞き取り調査が欠かせません。ホールで見た「県外客おことわり」「県外ナンバーの車おことわり」の文字が目に焼き付いて、現地の方に声をかけることはできませんでした。「県外からコロナウイルスを持ち込んだ人がひどい誹謗中傷を受けた」といった話を聞いた地域が近ければなおさらです。
5月に恐ろしいパチンコバッシングを経験した直後だったので、「パチンコ屋さんについてお聞きしたいのですが…」なんて話しかけたら袋叩きに遭うのではないか、という恐怖心もありました。袋叩きに遭わなかったとしても「こんな時期に取材だなんて、パチンコ関係者はやっぱり常識知らず」といった悪印象を深めてしまうかもしれず、それだけは絶対に避けなければと思いました。
地元の図書館で資料を探そうと試みるも、事前予約が必要だったり、資料室での滞在時間を「1時間以内」と限定されるなど八方塞がりです。
もう少し終息してから行けばいいんじゃないの? と思われるかもしれませんが、緊急事態宣言中も、建物の解体工事は行われているという情報が次々に入ってきていました。
じっとしているうちに、現役店は潰れ、廃ホールは壊されてしまう。
だからたとえホールの中に入れなくても、聞き取り取材ができなくても、行かなければならなかったんです。
<来月に続く>